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2012年4月 4日 (水)

第64回大会:研究発表・講演要旨

ノスタルジストの仮面をかぶったリアリスト ― 『緑の鎧戸の家』との関連から論じる反菜園派としてのジョン・ゴールト
浦口理麻
 菜園派の一人であるサミュエル・ラザフォード・クロケットはジョン・ゴールトを菜園派の始祖と考えていたが、その解釈は今では否定されている。ゴールトの作品はむしろ、反菜園派と言われるジョージ・ダグラス・ブラウンの著作『緑の鎧戸の家』に影響を与えていると考えられるようになった。しかし、ゴールトの作品の中でも特に菜園派的とされてきた『教区の年代記』、『エアシャーの遺産受取人』と『緑の鎧戸の家』との共通点に関してはまだあまり論じられていない。本発表ではゴールトの『教区の年代記』、『エアシャーの遺産受取人』が反菜園派的傾向を持つことを明らかにした上で、この二作品が持つ『緑の鎧戸の家』との共通テーマを探っていく。

『七破風の家』に見られるホーソーンの職業倫理
佐野陽子
 ホーソーンは『七破風の家』の前年に出版した『緋文字』の中で、へスターの胸の緋文字に触れて「その文字は彼女の天職の象徴だった」("The letter was the symbol of her calling.")と述べている。これは非常に短い文で、ともすれば見落とされがちだが、ホーソーンがここでcallingという言葉を使っているという事実は、ホーソーン自身の職業倫理や19世紀の職業倫理を考える上で見逃すことはできない。
 マックス・ウェーバーはcallingという言葉に宗教的な観念がこめられていることを指摘し、ピューリタンたちは職業を神からの召命と考え、それぞれの職業に励むことで神に奉仕し、社会に貢献することを目指していたと論じている。
 ホーソーン自身も若き頃に「良き市民」にならなければという親戚からのプレッシャーを感じながら、どのような形で神や社会に奉仕できるかを模索し続けていた様子が窺われ、『緋文字』の序文である「税関」の中でも、税関を解雇され文筆に戻るにあたって、先祖の霊をして「物語作家という仕事は、神の栄光をたたえ、人類に貢献するのに、どんな役に立つのか」と言わしめている。
 19世紀はこうしたピューリタンたちの職業に対する勤勉さによって資本主義が発展した時代であったが、その一方でcallingという言葉が公の場で徐々に使われなくなり、職業の宗教的な側面が失われつつある時代でもあった。こうした流れの中で『緋文字』、そして『七破風の家』を読んでみると、ホーソーンが19世紀の職業倫理に対して、17世紀的なプロテスタントの職業倫理を提示していることが分かる。どちらの作品も物語の前景となっているのは罪の問題や土地所有をめぐる争いであり、職業や職業倫理の問題は後景に配されている印象だが、ホーソーン自身の問題でもあり、また彼が同時代をどのように見ていたかを知る上でも看過できないテーマとして、『七破風の家』を中心に検討したい。

対・現実から脱・現実へ ― ネオ・ファンタジーの流れ
井辻朱美
 ゼロ年代に入り、『ハリー・ポッター』シリーズの映画化を皮切りに、『指輪物語』『ナルニア国ものがたり』などの古典ファンタジーも実写映画化、ファンタジーはいっきょに市場化した感があります。分厚い別世界ファンタジーが次々出版され、国内外を問わず映像化される、しかしその一方でファンタジーは特異な分野ではなくなり、ミステリや一般文学などに浸透して、フィクションの大きな方法論の中に吸収されてゆきつつあります。
 何が起きているのか。ネオ・ファンタジーの流れを追いながら、「境界の溶融」「場所感の消失」「データベース化される神話」など、従来型ファンタジーの解体および、ディズニーランド以来の「環境化されるファンタジー」「聖地巡礼」などファンタジーの新しい潮流を見てゆきたいと思います。いま問われるべきなのは、虚構とは何かではなく、むしろ現実とは何か、世界に対するわたしたちの立ち位置がどうなってきたのか、ではないでしょうか。