« 2024年1月 | メイン

2024年3月

2024年3月22日 (金)

第46回総会・第76回大会

当日のご出欠、ご連絡先・ご所属の変更等については、総会資料とともに郵送される返信用はがき、あるいはこのフォームでお知らせください。

日時 2024年5月11日(土)13:30–17:10
会場 上智大学四谷キャンパス12号館12-202教室、12-203教室
交通 JR中央線、東京メトロ丸ノ内線・南北線 四ツ谷駅下車徒歩5分|地図

プログラム
12:00 役員会(12-203教室) 役員・委員はご出席ください。

13:10 受付開始

13:30 総会(12-202教室)
                    
13:55 研究発表
会場1(12-202教室)
13:55–14:35 岡田大樹(東京農業大学) 司会:平塚博子(日本大学)
語る主体の融解 ― William Faulkner "The Leg"の語り手について

14:40–15:20 宮脇俊文(成蹊大学名誉教授) 司会:深谷公宣(法政大学)
『ラスト・タイクーン』再構築 ― 「グレート」から「ラスト」へ

会場2(12-203教室)
13:55–14:35 宮林大輔(慶應義塾大学大学院) 司会:下永裕基(明治大学)
2つの文法アプローチ ― 生成文法と伝統文法 

14:40–15:20 高山真梨子(慶應義塾大学大学院) 司会:下永裕基
聖グースラークの隠遁生活の場所 ― 古英語詩Guthlac Aにおける描写からの考察
                    
15:40–17:10 シンポジウム(12-202教室) 杉藤久志(日本大学)、皆川祐太(日本大学)、米田ローレンス正和(白百合女子大学)、小室龍之介(都留文科大学)
作家にとっての自己:中世から現代まで

17:30–19:00 懇親会(13号館304号室) 会費:5,000円(学生2,000円) 第42回刈田賞および第41回ロゲンドルフ賞の授与を行います。

第76回大会:研究発表・シンポジウム要旨

語る主体の融解 — William Faulkner "The Leg"の語り手について
岡田大樹
 William Faulknerの小説テクストには、一人称や三人称といった語りの安定性が崩れるケースが多く見られる。Faulkner の短篇のなかで最も謎めいていると評されることの多い"The Leg"(1934)では、登場人物の一人称による語りのなかに、忽然として、遠く離れた時空を描写する三人称による語りが差し挟まれる。戦傷患者や亡霊など、安定的な生から追いやられた登場人物を多く擁する本作において、この語りの操作が意味するものを考察する。

『ラスト・タイクーン』再構築 ― 「グレート」から「ラスト」へ
宮脇俊文
 スコット・フィッツジェラルドが、その晩年ハリウッドの地で再起をかけて挑んだ長編『ラスト・タイクーン』は未完に終わったものの、大作である(あるいはそうなるはずであった)ことは間違いない。主人公のモンロー・スターは『グレート・ギャツビー』の主人公であるジェイ・ギャツビーと多くの共通点を有している。その意味で、この作品は『ギャツビー』の続編として読むことも可能だ。「グレート」から「ラスト」へ、フィッツジェラルドはこの作品にアメリカの何を描こうとしたのか?何が「最後」だと考えたのかを探る。

2つの文法アプローチ — 生成文法と伝統文法
宮林大輔
 渡部昇一は『秘術としての文法』の中で、「比喩をもって言えば、新言語学は化学であり伝統文法は薬学である」(17)と述べている。今回の研究発表では、これら二つの方向性の異なる文法体系において、実際に見ている言語の姿は異なって映るのかどうかということを検証したい。検証には語順という観点からは時代区分の位置付けの難しいピーターバラ年代記の後半個所を用い、伝統、生成という二つの文法体系の同異を見る。

聖グースラークの隠遁生活の場所 ― 古英語詩Guthlac Aにおける描写からの考察
高山真梨子
 古英語詩Guthlac Aはイングランドの聖人グースラーク(d. 714)に関してアングロ・サクソン時代に残された複数の記録のうちの1つである。同じ聖人に関する同時代の他作品と比べ、聖人が隠遁生活を送る場所に対する扱いが特徴的であり、この場所の描写に関して様々な議論がなされてきた。本発表では、Guthlac Aにおいて聖人の隠遁生活の場所に関して用いられる語から問題となる場所の描写のされ方を明らかにし、さらに他の古英語詩における類似の語の使用や他の聖人伝における場所の描写を比較対象とすることにより、その描写を多角的に再検討したい。

作家にとっての自己:中世から現代まで
杉藤久志、皆川祐太、米田ローレンス正和、小室龍之介
 時代を問わず、作家にとって「自己」とは常に大きな問題だ。(虚構としての)自分自身を作品に登場させる作家や、直接の内面描写を通じて自己と向き合う作家など、表現はさまざまである。しかし、とある時代区分における作家の自己が議論される機会は多いが、大きな時代区分を超えて自己を比べる試みはあまりない。このシンポジウムでは当学会の幅広い研究分野を活かし、中世、初期近代、19世紀、20世紀から作家を取り上げて、時代・作家ごとに問題となる自己の特性を考えてみたい。

1. <中世> 詩人チョーサーと愛の寓意
杉藤久志
 中世における自己は、宗教改革やデカルト以前の「個を持たない存在」として描かれることが多い。これに対する批判はもちろんなされてきたが、確かに中世は独立した自己認識よりも、神などの大きな概念の中に自己を見出す傾向がある。チョーサーの場合は、中世の伝統を継承しながらも、ひとりの詩人という自己を強く意識していることに注目したい。Legend of Good Womenにおいて、彼は中世詩人たちの内面を支配した寓意である「愛の神」を登場させる。しかし恋についてではなく、詩とその読者の反応について愛の神と対話し、詩人としての自己を形成する。

2. <初期近代> 「葛藤する自己」とピューリタン詩人:アン・ブラッドストリートを中心に
皆川祐太
 罪深い自己と聖なる自己の葛藤がピューリタンの個を形成していた。では、当時のピューリタン詩人にとって、自己はどのようなものだったのか。アン・ブラッドストリートの詩集であるThe Tenth Muse Lately Sprung Up in America(1650)の"The Prologue"と"The Flesh and the Spirit"(1678)を分析し、ピューリタンの「葛藤する自己」と詩人としての自己の関係に光を当て、ブラッドストリートが如何に自己を理解し、それを描いていたのか論じる。

3. <19世紀> 近代出版市場における詩人の価値:ロマン主義詩人シェリーの場合
米田ローレンス正和
 北西ヨーロッパが宗教改革を経て「内面」を備えた近代的個人を確立していくプロセスを概観し、その歴史的文脈においてシェリーの「詩人としての自己」がどのように構築され、また変容していったか、Alastor(1816)およびAdonais(1821)という二編の詩を比較しながら論じる。

4. <20世紀> エリザベス・ボウエンの『最後の九月』に描かれる自己と植民地主義
小室龍之介
 20世紀のアングロ・アイリッシュ作家のエリザベス・ボウエンの第二作The Last September(1929)は、イギリス支配下にある1920年のコーク(アイルランド)にあるビッグ・ハウスを舞台にしたコロニアル小説である。本発表ではアングロ・アイリッシュの主人公ロイスと英兵ジェラルドとの恋愛を辿り、ロイスの物事一般についての認識の「曖昧さ」とイギリスの植民地主義がロイスの自己形成に関わっていることを示したい。